糸井重里
糸井重里が40歳の誰かに向けて書いた文章。
ぼくにとって40歳は25年前。
暗いトンネルに入ったみたいで
つらかったのを覚えている。
絶対に戻りたくない、というくらいにね。
そのつらさは、自分がまだ何者でもないことに悩む、30歳を迎えるときのつらさとは別物だと思う。
40歳を迎えるとき、多くの人は仕事でも自分の力量を発揮できて、周囲にもなくてはならないと思われる存在になっていて、いままでと同じコンパスで描く円の中にいる限りは、万能感にあふれている。
でも、40歳を超えた途端、
「今までの円の中だけにいる」ことができなくなる。
自分でもうすうす、
いままでのままじゃ通用しないと感づいている。
別のコンパスで描いた円に入っていって、いままでとはぜんぜん違うタイプの
力を発揮しなきゃいけない。
その時、自分が万能じゃないし、
役に立たない存在だと突きつけられる。
ぼくも、40歳を迎えるころには、
コピーライターとして、
ちょっとした万能感があった。
でもあるとき、外部の人との交渉の席で、「もっと偉い人出しなさい」と言われた。
こういう、ぼくとはまったく別の理屈をもった人たちをも巻き込んで仕事をしていかなきゃいけない、という理不尽に直面した。
プレーヤーとしてコピーを書いているだけなら感じなかったことだと思う。
夫婦関係や子育て、親の介護や自分の病気など、さまざまな面で、今までどおりにはいかない理不尽を感じ始める時期でもあるしね。
その時、いままでは通用したのに、
と過去の延長線上でもがくことが多い。
でも、それではなかなかブレークスルーはない。
ぼくはゼロになることを意識するよう心掛けた。仕事は何でも引き受けるんじゃなく厳選した。その頃には、仕事で迎えの車が来るなんてことも当たり前になっていたけれど、
断って電車で移動するようにした。
釣りを始めたのもこのころ。
130人が参加する大会で80番くらいにやっとなれるかどうか。
はじめて8番になった時には涙が出るほどうれしかった。
趣味でも何でもいいから、
簡単には1位を取れないけれどワクワクするものを40歳で持ってみることって、
その後の人生を大きく左右すると思う。
ぼくの場合は、それが10年後につながった。ちょうど50歳になる年に、
これからはインターネットがおもしろいと思って「ほぼ日刊イトイ新聞」を立ち上げた。
ゼロになってもがいた「40歳からの10年間」がなかったらできなかったことだと思う。
ぼくら団塊の世代に対して、いまの40歳は団塊ジュニア世代。
「食いっぱぐれることがない時代」を
生きていることをもっと利用したほうがいい。地面にたたきつけられたって
たいていはスポンジがあるんだから、
もっと円から飛び出してほしい。
起業家やNPOの人たちを見ていると
その芽が出てきたと感じるけど、
もっと自由に活躍する人が出てきてほしい。
団塊には「食う」ために自由になれなかった人も多いけど、団塊ジュニアはもっと幅広く、「仕事はホワイトカラーばかりじゃない」ってことにも目を向けてほしいね。
ワクワクすることが見つからない人には、ひとつだけアドバイスがある。
「絶対にやりたくないことからは逃げる」と心に決めること。
これは逆説でもあって、
「絶対に」が付かない程度の、文句を言いながらやれることなら、
逃げずにやり遂げろということ。
そうしているうちにワクワクが見つかるから。
ぼくが40歳の時、
このトンネルを抜けると何があるのか、
誰かに教えてほしかった。
だから、ぼくの話が
40歳の誰かに届けばって思うんだよ。