3.11
今日で3年が経ちました。
ぼくはあの日仕事で石巻にいました。
仕事の予定では女川にいく予定でしたが、時間の都合で途中で引き返しました。
前の日だったら原発の近くにいました。
津波が来たときは取引先の二階で避難させてもらいました。一晩中、外から助けを求める声が聞こえましたが、どうすることもできませんでした。
ケータイも圏外になったので、誰とも連絡をとることができず、親も友達もぼくのことを死んだと思っていました。
2日後、水位が股下ぐらいまで下がったので、海水やヘドロにまみれて、当時の自宅と会社がある仙台に徒歩で向かいました。
車が走れる道路ではヒッチハイクもしました。何台かの車に乗せていただきましたが、その中の一台の老夫婦の方から温かいおにぎりをいただきました。
食料もガソリンも不足している中だったので、本当にありがたかったです。
取引先の方の中でも亡くなられた方がいます。
原発の近くの双葉町に住まれていましたが、戻れるような状況ではないので、今は関東の方にお住まいを移された方もいます。その方は毎試合応援に来てくれています。
あの日違う予定で行動していたら…
地震が前の日だったら…
生きてる可能性はかなり低かったと思います。
でも幸いにも生きています。生かされています。
ていうことで、これからも思いっきり生きます!
2月末の時点で震災による死者1万5884人、行方不明者2633人。
亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに、行方不明の方の発見、被災地の復興を心より願っています。
最後に不謹慎ながら津波が来た時と自宅に帰った時に写真を撮りました。自分自身がこの日を忘れないためにも、添付しておきます。