NKBミドル級世界王者・村井崇裕「キックボクシングをメジャーなスポーツに」
当サイトのクリエイターであるNKBミドル級世界王者・村井崇裕さんの記事が9月1日の京都新聞に掲載された。東日本大震災の経験を交え、常に高見を目指し、ひたすらに夢をあきらめない姿勢が心に響く内容となっている。ここに掲載したい。
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キックボクシングをメジャーなスポーツに
いい試合で注目集め
日本キックボクシング連盟ミドル級チャンピオン 村井崇裕さん(27)
長い足から、迫力あるキックをジムの野口康裕会長(43)のミットに打ち込む。空気の震えがリングの外まで伝わった。昨年10月、日本のキックボクシング団体の一つ、日本キックボクシング連盟(NKB)の第5代ミドル級王者の座についた。「一度勝ったことのある相手でプレッシャーもあったので、勝ててほっとした」。現在は12月のタイトル防衛戦に備え練習に励んでいる。
同志社大1年の時、総合格闘技ジムに入り、3年まで続けた。大手石油関連会社に内定した4年の春、得意な打撃が生きるキックボクシングに挑戦しようと、野口さんのジムの門をたたいた。
セコンドらと練習を重ね「チーム一丸で勝つ」競技に強く引かれた。卒業直前に勧められてプロデビューし、初戦をKO勝ちで飾った。卒業と同時に競技は辞め、営業職として仙台市に赴任した。
だが、「もっと上を目指したい」という夢はあきらめきれなかった。1年後、仕事を辞めてキックボクシングを続けると決心。退職のあいさつに回っていた2011年3月11日午後、宮城県石巻市の取引先で東日本大震災の津波に遭遇した。みるみるうちに足元に水が流れ込み、2階に避難して難を逃れた。4月に京都に戻り、日中は東山区の実家の漬物店で働き始めた。週6日、夜8時から10時まで、シャドーボクシングやサンドバッグを使った練習、スパークリングなどをこなした。それでも1年以上のブランクは大きく、プロ復帰第1戦ではKO負けした。「ここでやめたら、辞めた会社の人にも失礼になる」と気持ちを奮い立たせた。同年12月の試合からは連勝、負けなしだ。
「(震災で)被災してつらい環境で頑張っている人に比べたら、自分の頑張りなんて」と、地道な努力を惜しまない。将来の夢は、他団体のそれぞれのチャンピオン全員と対戦し、勝つことだ。
「いい試合をして注目を集め、メジャーなスポーツにしたい。『チャンピオンみたいになりたい』という子どもたちが増えれば」と期待している。